利雪親雪まちづくり「はじまりと主な取り組み」
ページ内目次
はじめに
名寄市には、「厳しい」イメージのある雪と寒さを生かし、「楽しみ」に変えるという発想をまちづくりに生かすという理念に基づき、「名寄の冬を楽しく暮らす条例」という北国ならではのユニークな条例があります。
この条例は、平成元年(1989年)、旧名寄市において制定されたもので、旧風連町と合併した現在においてもこの条例を引き継いでいます。
条例ができた背景と利雪親雪の取組みの主なものを紹介いたします。
この条例は、平成元年(1989年)、旧名寄市において制定されたもので、旧風連町と合併した現在においてもこの条例を引き継いでいます。
条例ができた背景と利雪親雪の取組みの主なものを紹介いたします。
名寄の冬のくらしと利雪親雪のきざし
名寄市は、多雪寒冷という気象条件にあり、住民にとって決して暮らしやすい環境ではありませんでした。
昭和27年(1952年)、名寄市での全道スキー選手権大会の開催を機に、主要道路に「雪人形」(雪像)を制作して、各地からの大会参加者を迎えました。
これが、現在の「雪質日本一フェスティバル」に繋がる雪まつりの始まりです。
この頃から、閉ざされた暗い冬のイメージを打ち破り、雪と楽しむ試みが動き始めました。
雪上での子どもの遊び「雪スケート」が、昭和30年(1955年)スケートリンク造成へと導いたのもそのひとつです。
昭和44年(1969年)に姉妹都市を締結した北方圏のカナダ・オンタリオ州リンゼイ市からも、寒さを活かしたまちづくりにかかわる生活文化を学ぶこととなりました。
また、昭和55年(1980年)名寄青年会議所が実施した北方圏ジェットは、フィンランドをはじめ北方圏4カ国を視察し、厳寒の北国であっても明るく生きる精神文化と豊かなまちづくりを学び、名寄の地に取り入れることが目的でした。
快適な居住環境づくり、生活文化の創造の必要性を官民ともに認識することとなり、商業施設のウィンドウ・ディスプレイ、郊外型レストラン、サウナ、公共施設の街路や建設デザインに活かされました。
昭和62年(1987年)からは市民グループが北方圏衣料、木製生活用具、染色物の展示会を開催したほか、「雪あかりコンサート」と題し、フィンランドの楽器などの演奏会を開催するなど、雪や寒さを財産とし、積極的に楽しもうとする取り組みは、後に北海道から「利雪・親雪モデル都市」の指定を受ける礎ともなりました。
さらに、旧名寄市の第三次総合計画では五本の樹の一つとして「冬の生活の樹」を目標に定めたことで、他の地域にも注目されることとなりました。
昭和27年(1952年)、名寄市での全道スキー選手権大会の開催を機に、主要道路に「雪人形」(雪像)を制作して、各地からの大会参加者を迎えました。
これが、現在の「雪質日本一フェスティバル」に繋がる雪まつりの始まりです。
この頃から、閉ざされた暗い冬のイメージを打ち破り、雪と楽しむ試みが動き始めました。
雪上での子どもの遊び「雪スケート」が、昭和30年(1955年)スケートリンク造成へと導いたのもそのひとつです。
昭和44年(1969年)に姉妹都市を締結した北方圏のカナダ・オンタリオ州リンゼイ市からも、寒さを活かしたまちづくりにかかわる生活文化を学ぶこととなりました。
また、昭和55年(1980年)名寄青年会議所が実施した北方圏ジェットは、フィンランドをはじめ北方圏4カ国を視察し、厳寒の北国であっても明るく生きる精神文化と豊かなまちづくりを学び、名寄の地に取り入れることが目的でした。
快適な居住環境づくり、生活文化の創造の必要性を官民ともに認識することとなり、商業施設のウィンドウ・ディスプレイ、郊外型レストラン、サウナ、公共施設の街路や建設デザインに活かされました。
昭和62年(1987年)からは市民グループが北方圏衣料、木製生活用具、染色物の展示会を開催したほか、「雪あかりコンサート」と題し、フィンランドの楽器などの演奏会を開催するなど、雪や寒さを財産とし、積極的に楽しもうとする取り組みは、後に北海道から「利雪・親雪モデル都市」の指定を受ける礎ともなりました。
さらに、旧名寄市の第三次総合計画では五本の樹の一つとして「冬の生活の樹」を目標に定めたことで、他の地域にも注目されることとなりました。
北海道から「利雪・親雪モデル都市」として指定される
こうしたなか、北海道では、昭和63年から戦略プロジェクト「利雪・親雪プログラム」を策定し、快適な冬の生活をすすめるため、活気あふれる地域社会の形成を目指していました。
市町村、道民と一体となった施策の取り組みと同時に多雪や寒冷といった地域に「モデル都市」を指定し、そこでの地域の特性にあったモデル事業を展開し、その効果を他に波及させ、新しいライフスタイルやまちづくりを全道に広げることを目的としました。
そして、平成元年(1989年)北海道は旧名寄市における利雪親雪の取り組みを評価するとともに、新たな事業展開を期待し「利雪・親雪モデル都市」に指定しました。
これを機に、旧名寄市において市民と行政が一体となってまちづくりを進めるという基本的な合意形成がなされました。
市町村、道民と一体となった施策の取り組みと同時に多雪や寒冷といった地域に「モデル都市」を指定し、そこでの地域の特性にあったモデル事業を展開し、その効果を他に波及させ、新しいライフスタイルやまちづくりを全道に広げることを目的としました。
そして、平成元年(1989年)北海道は旧名寄市における利雪親雪の取り組みを評価するとともに、新たな事業展開を期待し「利雪・親雪モデル都市」に指定しました。
これを機に、旧名寄市において市民と行政が一体となってまちづくりを進めるという基本的な合意形成がなされました。
「名寄の冬を楽しく暮らす条例」の誕生
「利雪・親雪モデル都市」に指定されたのを契機として、冬に親しみ冬を楽しむ暮らしをとおして、快適で活力ある都市環境と豊かな冬の生活文化を創出するモデル的な冬のまちづくりを推進するため、平成元年(1989年)「名寄市利雪親雪推進市民委員会」が発足し、同年、「名寄の冬を楽しく暮らす条例」が制定されました。
この条例は全国でも類をみない柔らかな前文ではじまるユニークな条例で、市民と行政が共通の目的に向かいながら市の責務と市民の役割を明確にするなかで、市民の独創的で他の模範となる活動に対して市長がこれを推賞し「名寄市ホワイトマスター」の称を贈ることとしました。
この条例の精神は、合併後新たな名寄市に引き継がれ、市民と行政の冬に対する責務や名寄市利雪親雪推進市民委員会の任務を明確にした「名寄の冬を楽しく暮らす条例」を制定しました。
名寄市利雪親雪推進市民委員会からは市民の代表として、これまで市民への意識啓発や利雪親雪推進活動など多くのご協力をいただいております。
また、名寄市への「提言」といった形で、ご意見をいただき、行政の参考としています。
この条例は全国でも類をみない柔らかな前文ではじまるユニークな条例で、市民と行政が共通の目的に向かいながら市の責務と市民の役割を明確にするなかで、市民の独創的で他の模範となる活動に対して市長がこれを推賞し「名寄市ホワイトマスター」の称を贈ることとしました。
この条例の精神は、合併後新たな名寄市に引き継がれ、市民と行政の冬に対する責務や名寄市利雪親雪推進市民委員会の任務を明確にした「名寄の冬を楽しく暮らす条例」を制定しました。
名寄市利雪親雪推進市民委員会からは市民の代表として、これまで市民への意識啓発や利雪親雪推進活動など多くのご協力をいただいております。
また、名寄市への「提言」といった形で、ご意見をいただき、行政の参考としています。
これまでの、市民と行政が連携・協力しながら取り組んできた利雪親雪まちづくりについて、紹介します。
快適な生活空間の推進
快適な生活空間の推進
昭和61年度から3年間、実験施設により名寄方式の融雪溝を見いだした。地下水を利用した大規模融雪溝で昭和63年度から平成2年度にかけて駅前通に名よせ通融雪溝が設置され、快適で明るい商店街づくりの一翼を担った。
平成6年には錦通融雪溝、国道40号融雪溝(管理主体は旭川開発建設部)は平成11年から2年間で全面供用できるようになった。
平成6年には錦通融雪溝、国道40号融雪溝(管理主体は旭川開発建設部)は平成11年から2年間で全面供用できるようになった。
排雪ダンプ助成事業
道路、宅地内などに堆積する雪を排雪するダンプにかかる経費の一部を助成するもの。
ただし、営利事業者が処理すべき宅地内、民地等は含まない。
平成22年度から助成額の引き上げや店舗併用住宅も対象となったことにより、降雪量により変動はするものの、平均すると年1,600件あまりの実績となっている。
【参考】
H29~R2実績(平均) 1,636件
ただし、営利事業者が処理すべき宅地内、民地等は含まない。
平成22年度から助成額の引き上げや店舗併用住宅も対象となったことにより、降雪量により変動はするものの、平均すると年1,600件あまりの実績となっている。
【参考】
H29~R2実績(平均) 1,636件
除雪ボランティア「町内会・行政区ネットワーク事業」
障がい者、高齢者等町内会・行政区の中の要保護世帯に対し町内会・行政区の会員が住宅、通路などの除排雪を行うもので、活動を行う町内会・行政区に対し社会福祉法人名寄市社会福祉協議会が助成している。
平成4年度から内容を修正しながら継続し、令和2年度は18町内会・行政区が取り組んでいる。
平成4年度から内容を修正しながら継続し、令和2年度は18町内会・行政区が取り組んでいる。
冬期利用に配慮した公園整備
これまで、冬期間も公園が利用できるよう考慮し、小山の造成や歩くスキーコースをつくるなどの公園整備が進められてきた。
今後、冬期間のさらなる公園利用促進を図るために、名寄公園や浅江島公園、風連緑町公園について、林の中を自然観察したり、ジョギングができる散策スペースの確保、スキー山林を有効に活用したチューブすべりのできるコースづくり、雪中サッカーや雪合戦などが気軽に楽しめるオープンスペースの確保を検討するなどの整備を検討する。
無雪道路ネットワークの形成
名よせ通・錦通・国道40号融雪溝の維持管理を行い、有効に活用することにより、雪のない道路空間の確保とともに、駅前からの商店街及び、各施設へのネットワークを形成する。
冬に強い住宅の普及促進
外断熱小学校
小学校改築にあたって、構造的に各室、各空間のどこでも一定の温度を保つことができ、低燃費で、冬暖かく、夏涼しい効果のある「外断熱工法」を取り入れ、床に木目、カーペットを使用するなど冬でも快適な学校の建設をおこなった。
昭和62年度の中名寄小学校、平成2年度東小学校、平成5年度西小学校、平成10年度名寄小学校、平成26年度南小学校、平成29年度風連中央小学校が外断熱工法により建設された。
昭和62年度の中名寄小学校、平成2年度東小学校、平成5年度西小学校、平成10年度名寄小学校、平成26年度南小学校、平成29年度風連中央小学校が外断熱工法により建設された。
積雪寒冷地に配慮した公営住宅の建設
ノースタウンなよろ
北海道が提唱する「北方型住宅」のモデル公営住宅として北方地域での望ましい公営住宅建設を推進するために、北海道、学識経験者、道立寒地住宅都市研究所、地元建築士会などの専門家でつくるプロジェクトチームの助言を受けて“温度差70度の北の街に、温もりのある「なよろ公営住宅」の建設”をコンセプトに計画し、平成元年「ノースタウンなよろ」を建設した。この後の公営住宅の建設にも、公営住宅整備基準に基づき住環境を整備している。
冬のスポーツ、リクリェーション、イベント振興
ピヤシリシャンツェの整備
ピヤシリシャンツェ
昭和45年、ノーマルヒルのピヤシリシャンツェが開設され、平成6年にはサマージャンプが可能なミディアムヒルが加わり、平成7年からはピヤシリサマージャンプ大会が始まっている。平成13年にはノーマルヒルの改修、平成14年にはプラスチック化工、人工降雪機も導入。多雪、寒冷な気象条件を生かし、12月に国内開幕戦として国際級の選手を迎えての大会開催を行なっている。
ピヤシリスキー場整備
ピヤシリスキー場
名寄市が進めていたピヤシリ・九度山総合開発の一環として「国設ピヤシリスキー場」が昭和48年12月にオープン。昭和61年第4ロマンスリフトが加わり輸送力が向上した。
また、昭和63年にはFIS公認が得られ、全日本級の大会開催などで大会参加者、関係者で輸送人員が増加した。平成5年第1ペアリフト、平成6年第2ペアリフト、平成15年第3ペアリフトに架け替えを行なって輸送力が一層向上し、スキーヤーの利便性が図られている。
※現在、第4ロマンスリフトは停止中となっている。
風連スキー場整備、スキー場まつりの開催
風連スキー場
昭和43年オープン以来、初心者や基礎スキー向けのファミリーゲレンデとして親しまれており、風連地区の小学校の授業でも利用されている。昭和61年には、搬器の増設と背当てフックタイプへの改良で輸送力と安全性が向上した。
毎年行われていた町民スキー大会に合わせて平成6年から風連スキー場まつりを開催している。
歩くスキーの普及促進
歩くスキーを楽しむ市民
昭和57年、北国の長い冬の健康増進を目的に気軽にできるスポーツとして、愛好者により名寄歩くスキー協会が発足した。翌年から、全道各地からの参加者によるピヤシリ歩くスキー大会を開催。
12月下旬から日曜ごとに歩くスキーツアーを行い多数の参加を得ている。
昭和63年から平成2年にかけて市内小中学校に歩くスキーを配置し、市民皆スキーを目指した。
現在も、一部の小学校では授業に組み込みこまれており健康づくりを行なっている。
カーリング場の整備
サンピラーパークのカーリング場
市内でカーリングが普及したのは昭和57年に姉妹都市の提携をしているカナダ・オンタリオ州リンゼイ(現カワーサレイクス市)との交流をとおしてであり、氷上スポーツとしての広がりをみせた。平成18年には、道立公園サンピラーパーク内に日本最大級の5シートを有するカーリング場がオープンし、各種大会を開催している。
平成22年にはアジア5カ国が参加する「パシフィックジュニアカーリング選手権」を開催するなど、青少年の技術向上と国際的視野の拡大にも努めているほか、令和2年度には第14回JAL杯北海道ミックスダブルスカーリング選手権大会、第29回北海道ジュニアカーリング選手権大会が開催されている。
雪質日本一フェスティバルの開催
雪質日本一フェスティバルのようす
昭和27年(1952年)全道スキー選手権大会が名寄で開催された年に「雪まつり」として始まった。名寄市、商工会議所、観光協会などが中心となり昭和30年に「雪の祭典」、昭和38年に「樹氷まつり」平成3年からは「なよろ雪質日本一フェスティバル」と改名し、「樹氷まつり」「ミニ雪像コンテスト」「北の天文字焼き」を統合しなよろ雪質日本一フェスティバル実行委員会が主体となり実施するようになった。
名寄の冬の一大イベントとして多くの市民がかかわって、造り上げられている。
おらが雪像見てくれコンテストの開催
コンクールのようす
昭和27年(1952年)、雪まつりとともに、主要道路に「雪人形」(雪像)を制作し、はじめて雪像コンクールが行われた。この頃は商店や職場、個人の軒先に制作した雪像が主体であった。
昭和45年寄青年会議所が企画したミニ雪像大会、昭和55年名ミニ雪像コンテスト(平成8年からは有志による実行委員会の企画に変わる)、平成13年にはおらが雪像見てくれコンテストへと変遷し、現在もなよろ雪質日本一フェスティバル会場でなよろ同実行委員会・雪像部の事業として継続している。
国際雪像彫刻大会の開催
雪像彫刻
平成3年の北方圏ジェットでのフィンランド視察がきっかけとなり有志が開催実現に向けて準備を進め、平成13年に初めての開催。なよろ雪質日本一フェスティバル実行委員会・雪像部として毎年世界各国の選手を招聘している。
令和元年度の第20回大会には14カ国56名、19チームの参加があり、名寄の雪像彫刻大会の知名度を上げた。
北の天文字焼きの開催
北の天文字焼き
上川北部の有志による地域活性化と産業振興を構想した「北の星座共和国」の発想によるもので、道北の各市町村の市街地を結ぶと「天」の文字になり、地域連帯の意味を示す。平成元年、国体歩くスキー大会が名寄で開催されたのを機に、その後援事業として、名寄のまちおこし集団「助っ人」の呼びかけで実施された。
平成3年からなよろ雪質日本一フェスティバル実行委員会・天文字焼き部に実施主体が移った。
太陽の丘にドラム缶が配置され、タイマツリレーで火が入れられ、壮大な「天」の字が夜空に浮かび上がり、道北の火祭りとして定着している。
平成29年にはドラム缶270個が配置され、ギネス認定されている。
スノーランタンの集いの開催
平成6年2月に始まった「スノーランタンの集い」は、今では名寄の冬の風物詩ともなっている。
※詳しくは次のリンクへ
※詳しくは次のリンクへ
ふうれん冬まつりの開催
ふうれん冬まつりのようす
昭和60年に、まちの活性化のために、住民みんなが楽しめる冬の祭典として農協・農連青年部、婦人連絡協議会、地区労、もち生産算組合が協賛して開催した。雪像コンクールをはじめ各種催しが開催され、平成3年から主催が観光協会に変わり、雪や寒さを活かした雪像づくりや、人間カーリングのほか、趣向をこらしたゲームや手作りの売店、夜空を彩る花火は風連地区の真冬のイベントとして定着している。
サンピラー、ライトピラーなどの自然現象を活かす
サンピラー観測小屋の設置
サンピラー観測小屋
厳寒期のピヤシリ山頂へのサンピラー観測、山全体の管理、山スキー、登山者の荒天時の避難小屋として平成3年10月に設置。小屋の窓から名寄市の上空に光り輝くサンピラーの観測もされている。
冬に強い生活文化の推進
冬の災害セミナー
セミナーのようす
令和2年2月、「大規模災害が冬季に起きた場合の対処法」をテーマに、日本赤十字北海道看護大学看護薬理学領域教授の根本昌弘氏を講師に迎えて開催。実演を交えながら、避難所の在り方や健康維持について学んだ。
しめ飾り教室
しめ飾り教室のようす
令和2年12月、フラワーサークル花えん代表渡辺優子氏を招いてオリジナルのしめ飾りを作る教室を開催した。20人が参加し、講師の指導を受けながら自由な発想でしめ飾りを作成した。
雪や寒さを活かした産業振興
冷熱エネルギーを利用した施設の建設
石油などに替わる「冷熱エネルギー」が「再生可能エネルギー」として位置づけられた。
名寄市には全国でも先駆けとなった「冷熱エネルギー」を利用した雪室型もち米低温貯蔵施設、名寄市風連農産物出荷調整利雪施設がある。
※詳しくは次のリンクへ
名寄市には全国でも先駆けとなった「冷熱エネルギー」を利用した雪室型もち米低温貯蔵施設、名寄市風連農産物出荷調整利雪施設がある。
※詳しくは次のリンクへ
冬に強いまちづくり
貢献者に名寄市ホワイトマスターの称号授与
市民の独創的で他の模範となる利雪親雪活動に対して、市長がこれを推賞している。
※詳しくは次のリンクへ
※詳しくは次のリンクへ
おわりに
以上、名寄市における利雪親雪まちづくりの主な取り組みを紹介させていただきましたが、この他に地域や個人における寒さと雪を活かした活動があります。
今後も利雪親雪の理念と精神を継承しつつ、さら市民および市が連携・協力し、冬に強いまちづくり進めるものです。
今後も利雪親雪の理念と精神を継承しつつ、さら市民および市が連携・協力し、冬に強いまちづくり進めるものです。
お問い合せ・担当窓口
総合政策部 地域課題担当
- 住所:北海道名寄市大通南1丁目
- 電話番号:01654-3-2111
- ファクシミリ:01654-2-5644
- メール:ny-sousei@city.nayoro.lg.jp